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2011.10.26 水曜日 >> 助教 村田 晋也

2011村田ゼミ・台湾研修報告

去る10月13日(木)から15日(土)にかけて、村田ゼミは台湾・中華大学を訪問し、同大学の先生方ならびに学生たちと共に今後の台湾と日本の関係をテーマに交流会を行ってくることができました。同大学は台北の南西80km程に位置する新竹市内にあります。同市は、半導体製造で有名な台湾積体電路製造や聯華電子をはじめ、台湾を代表するIT関連企業が集積していることから「台湾のシリコンバレー」と呼ばれる新竹サイエンスパークを擁しており、台湾の経済全体に大きな影響を及ぼしている地域として知られています。我が国からも多くの企業がそこに進出しており、日本との関係浅からぬ地域であると言えます。そのような背景もあって、中華大学の皆さんから大変温かく歓迎していただきました。

初日は、同大学国際企業学系にご所属の国府俊一郎助理教授とその学生たち、ならびに地元の社區大学で学ぶ社会人学生の皆さんと、日本と台湾の今後の経済のあり方について意見交換を行ってくることができました。

 

ブログ用写真⑦.JPG

二日目には、中華大学国際企業学系の徐子光学科長のご好意で国際交流会が開催されました。自己紹介と双方の大学紹介の後、日本人学生2名と台湾人学生2名とによるグループを作り、台湾と日本の今後の関係性について、また、台湾企業の現状・課題と日本企業の現状・課題についてディスカッションを行ってくることができました。教員らの不安を他所に、学生たちの会話は途切れることなく続き、ときに語学力の不足に歯痒い思いをしつつも、相互理解を深めてくることができたように思われます。

 

ブログ用写真④.JPG

三日目には台北に戻り、台湾総督府ならびに初代総統蒋介石を顕彰して建てられた中正紀念堂を訪れ、台湾の歴史について学んでくることもできました。

 

ブログ用写真⑥.JPG

村田ゼミでは、台湾・中華大学ないし韓国・明知大学との国際交流を毎年行っております。今後も積極的にこのようなゼミ活動を行うことにより、九州国際大学の学生たちがアジアに羽ばたいていく上での一助となれるなら幸いです。

 

投稿者 教員 : 2011年10月26日 04:48 | コメント(0) | トラックバック(0)
2010.08.22 日曜日 >> 教授 宮崎 昭

けっぱるぞ(67)士魂商才

 真っ正直に生きることは難しい上、時に馬鹿を見ることさえあります。

 不況に円高が加わり、辛い思いをしている企業人も多く、真っ正直な商いをすることは夢物語だという"現実派"が幅を利かせるのではと危惧されます。複雑な心境です。

 そう思う人も多いようで、渋沢栄一に注目が集まるのも、そうした時代の憂鬱感、閉塞感に促されてのことだと思います。

 坂本竜馬とは面識はなかったようですが、同時代の両雄ですね。

 英国の雑誌記者であったアルフレッド・ステットは、自国に帰って出版した著書のなかで、シブサワを次のように紹介していました。

・・・

 「シブサワは貧しい人からも富裕な人からも、偉大な人からも、そうでない人からも、すべての人から敬愛され、行くところ誰からも愛されており、彼をあしざまにいうのを聞くことは不可能であり、あるいは冷酷なやり方だと語るのを耳にすることもない。このように評判のよい人は稀であるし、加えてシブサワは日本の経済界にもっとも大きな影響を与えた人としても広く知られている。一見したところ、彼は背が低くずんぐりしており、ごつごつした顔につねに柔和な明るさをただよわせているが、自分を取りまいている諸問題に真正面からぶつかっていくときの彼の眼光には、何物をもつき通すような厳しさと鋭さがある」(東京商工会議所・編『渋沢栄一 日本を創った実業人』講談社+α文庫、2008年、299ページ)。

・・・

 ステットのシブサワ評は、たとえば横浜生糸貿易紛争での粘り強い取り組みや、わが国初の渡米実業団の団長としての活躍などを見れば当然のことといえるでしょう。

 ドラッカーも絶賛したと言われる渋沢の著『論語と算盤』では、利益を生み出すことと取引における公正性を両立させることが謳われていました。つまり、利益の多寡だけでなく、利益の出し方、方法が道理にかなったものであるかどうかが重要であるということです。偽装や隠蔽はもっての外ということです。

 明治42年の8月19日、渡米実業団は横浜港からシアトルに向けてミネソタ号に乗り込みました。約1ヶ月の旅程ですが、飛行機が無い時代ですから当然と言えば当然です。しかし、考えようによっては"豪華"な船旅ですね。その船中でのエピソード。

・・・

 「中野東商会頭の秘書役として同行した加藤辰弥が雑誌『実業乃日本』に書き送った手記には『"何といっても渋沢さんは実にエライ"という一語は皆の間でしばしばくり返される言葉である。第一に、一行中で一番の早起きは渋沢団長である。出帆の翌日から毎日朝5時すぎには必ず床を離れ、増田秘書役を起こして、幾回となく甲板上を運動される。それは元気なものである。次に運動がすむと読書される。これは一行の予想外としたところで、男爵(渋沢)に驚かされたことの一つであった。読書家の大関は堀越善重郎氏(貿易商)であるが、氏に次ぐものは男爵である。とくに朝食前といえども、少々の時間を利して読書される熱心さと気力にいたっては、ただ感嘆のほかはない』とある」(201~202ページ)。

・・・

 渋沢翁、ただの読書家ではありません。探究心も人並みはずれた人物だったようです。

・・・

 「渋沢という人はつねに旺盛な吸収欲をもっていた。清壮年時代の渋沢を描いた城山三郎の『雄気堂々』には、徳川昭武(慶喜の弟)一行の勘定係として渡欧したとき、先方の用意した見学先だけでなく自分から希望して病院、貯水池、さらには地下水道まで見てまわって、パリの下水道を見学したときには、いつも同行するフランス人も逃げ出したあと、下水道の役人にせがんで汚水の泡立って流れる臭気ふんぷんの暗渠(あんきょ)のなかを歩いたり小船に乗ったりして、隈なく見てまわったというエピソードが紹介されているが、彼の持ち前の吸収精神は70歳になっても衰えをみせず、この渡米中にも似たような逸話を一つ残している」(219~220ページ)。

・・・

 それは、石炭の試掘を見学した折の話です。予定外の行動であり、渋沢が余りにも熱心に質問していたために、専用列車に乗り遅れてしまったというのです。

 この夏も、日本の国会議員の多くが欧米に"視察"と言う名の旅行を予定していると聞きます。オリンピックを招致するために、東京都知事は一泊12万円以上の豪華なホテルに泊まったりして、総額1億円以上使ったと聞きます。

 士魂商才、企業人だけでなく、いまどきの政治家にも必要なのかもしれません。

 

 

投稿者 教員 : 2010年8月22日 16:39 | コメント(1) | トラックバック(0)
2010.08.03 火曜日 >> 教授 宮崎 昭

はんかくさい(24)あんた、なんなのさ

 8月に入り、大学は定期試験に突入しました。

 昔のような、濡れた答案用紙が提出されることはありません。特別サービスで、25度に設定された教室ですから(文部科学省は28度にせよと言ってます)、額から汗がポタポタ落ちることはないですね。でも、出来ばえの程はというと、昔も今もそんなに変わりはないようです・・・・・ム?

 さて、北九州に本社を置く(株)安川電機、JR黒崎駅のホームから見えるのは・・・・YASKAWA・・・・なんかおかしくありません?似た例が、ミツカンです。MIZKANって書いてません?おかしいでしょう!どこかの校長先生なら「けしからん!」と言って怒るのではないでしょうか。

 まだあります。発音は"キャノン"ですが表記は「キヤノン」です。同じく、発音は"シャチハタ"なのに表記は「シヤチハタ」です。

 名前の何故?を特集した本が出ています。朝日新聞 be編集グループ『社名・商品名検定 キミの名は』(朝日新書、2008年)です。120の社名、商品名の所以(ゆえん)を紹介しています。

 なんとなく、どうでもいいけれど、意外と、知らない話。

・・・

 「『会社四季報』などの社名索引で、『ミ』の欄を見てみよう。『三菱』が頭につく会社がずらりと並ぶ。商事、地所・・・・・。多くは旧財閥の三菱グループ系企業だが、その中に、グループと全く無関係の会社がある。それが三菱鉛筆だ。

 1887(明治20)年、東京で眞崎(まさき)鉛筆製造所として創業。1901年、国産初の量産型鉛筆3種を逓信省(現・日本郵政)に納入することに成功した。それを記念して1903年、『3種』の鉛筆や創業家の家紋『三鱗(みつうろこ)』を表す意味で、『三菱』のロゴマークを商標登録した。

 三菱グループによると、グループ内での『三菱』の商標登録は14(大正3)年。公式な『名乗り』は、三菱鉛筆の方が先だった、ということになる。でも、鉛筆という商品での競合がなかったためか、その名を巡るトラブルはなかったようだ」(82ページ)。

・・・

 多くの社名には、ストーリー、物語があります。そのひとつ、なぜゼブラ、シマウマなのか。

・・・

 「創業者の石川徳松が『石川ペン先製作所』を設立したのは、1897(明治30)年。独創で鋼製のペン先を開発することに成功した。当時は、筆記具が筆からペンへと移る時期にあたっていた。他の商品との差別化が必要、そのためにも商標が大事と悟り、その名を考えたのは、1914(大正3)年のことだった。

 もともと動物が好きだった。さらに社名は英語の名にした方が、斬新で、新しい筆記具であるペンにふさわしいと思った。そこで英語の辞書をひいた。ただし日本の書物風に右から開いた。だから、アルファベット最後の文字『Z』から見ることになる。最初に目についたのが『ZEBRA(シマウマ)』だった」(224ページ)。

・・・

 なんかユーモラスです。ネーミングは、どうも科学的な根拠にあるというよりも、人間的で偶然的な状況のなかで思いつかれたもののようです。しかし、社名が残るのは会社が残っているからであり、扱っている商品が顧客満足を得ているからです。商品力がなければ会社の名前も廃れます。

 ところで商品名、カルピス、その語源を知っていますか?

・・・

 「1902(明治35)年、大阪の寺で生まれた青年が、中国に渡った。後にカルピスを創業する三島海雲(かいうん)だ。貿易商を営みつつ、日露戦争向けの軍馬も調達した。あるとき、モンゴルを旅した。遊牧民たちはカメに乳をためていた。乳酸菌の発酵でできた酸っぱい飲み物だった。ふるまわれて驚いた。うまいし、胃腸の調子がよくなった。崩していた体調が元に戻った。

 帰国後、『酸乳』の研究を始める。研究着手から4年たったあるとき偶然、脱脂乳を乳酸菌で発酵させたものに砂糖を入れ、1,2日放置すると、とても飲みやすい味になっていた。1919(大正8)年、カルシウムも加えて製品化した。仏教に造詣が深かったため、カルシウムの『カル』と。サンスクリット語で、よい味を意味する『サルピス』を合わせて名づけた。『初恋の味』のキャッチフレーズは、知人に『甘酸っぱさが初恋の心に似ている』と言われ、採用した」(22ページ)。

・・・

 ご存知でしょうか?カルピスに似ているモンゴルの飲み物、馬乳酒です。三島青年が飲んだのは、この馬乳酒ではないか、とひそかに思っています。とても美味しいからです。

 アルコール度数は3%程度ですが、すごく飲みやすく美味しいのでグイグイいきます。ただしご注意を、飲みすぎると「初恋の味」が「失恋の味」に変わります。

 間違いありません。すでに証明済みです。

 

 

投稿者 教員 : 2010年8月 3日 14:09 | コメント(0) | トラックバック(0)
2010.07.24 土曜日 >> 教授 宮崎 昭

はんかくさい(23)そんなバカな!

 私たちの常識は、世界のそれにあらず。

 逆に、私たちの非常識も、世界のそれにあらず。

 常識を「正常」、非常識を「異常」と考える"愚"については、「はんかくさい(21)、(22)」で指摘したとおりですから、ここは慎重に!

 それにしても、そんなバカな、です。日本経済新聞社の記者達による海外異聞のファイルが公表されています。まずは、お隣の韓国の話。

・・・

 「キムチはもちろん、卵焼きやイカの塩辛、漬物、ワカメスープ――。韓国の食堂で席に座ると、注文もしないうちから小皿が続々とテーブルに運ばれてくる。これは『パンチャン』と呼ばれるおまけのおかず。メーン料理を1品頼めば、すべて無料だ」(日本経済新聞社編『ところ変われば―日本人の知らない世界の常識』日経ビジネス人文庫、2010年、14ページ)。

・・・

 本当ですか、10月初め、釜山に行きますので確かめてきます、「パンチャン」なるもの。 

 ところで、45年ほど前、日本でも飲まれたホット・コーラ(・・・まずかった!)、香港では風邪薬と言います。

・・・

 「体を温める『蛇スープ』は冬の食卓の定番だ。こんな香港市民の間で、風邪の"特効薬"と信じられている飲み物がある。『熱可楽(ホットコーラ)』だ。・・・・・(略)・・・・・作り方は簡単だ。鍋でコーラを沸騰させ、レモンの輪切りを5、6枚浮かべれば完成。ショウガの搾り汁を加えると、さらに効果的という」(38ページ)。

・・・

 しかし、温かい香港でも風邪が流行るのですね、こちらの方が意外でした。

 意外続きで、スイスです。

・・・

 「家庭に流れてくる電気が何から作られるか。日本ではあまり意識しないが、スイスでは消費者がそれを意識するだけではなく、電源を選べる。電力を供給するジュネーブ産業公社は2002年6月、各家庭が水力、火力などの電源を自由に選ぶ仕組みをスイスで初めて導入した。今ではチューリッヒやベルンなど各州に広がりつつある」(120ページ)。

・・・

 スイスの消費者は、外国産の安いチーズではなく、割高ですが無農薬の国産チーズを買い求めるといいます。電力も、原子力を選ぶ消費者はゼロなんだそうです。永世中立国というスイス、それは単なる政治的スタンスではなく、文化としても定着しているのでしょうね。

 でも、あーそうか、国によって違うんだ、で済まされないこともあります。位取りの話です。

・・・

 「数字を表記する際、日本では3ケタごとの位取りにコンマを、小数点にはピリオドを使う。しかしドイツでは位取りはピリオド、小数点はコンマだ。例えば株価指数などの「1,234.56」は「1.234,56」となる。フランスなども同様だ」(178ページ)。

・・・

 これは面倒くさいです。日本の日常生活では支障はないと思いますが・・・・・。

 こうなると、グローバル統一規格ということが基準にならねばならない、と言うことになりそうです。

 でも、「そんなバカな」という文化、習慣を持った人々がここにいること、なんかホッとします。

 

 

 

投稿者 教員 : 2010年7月24日 16:43 | コメント(0) | トラックバック(0)
2010.07.16 金曜日 >> 教授 宮崎 昭

けっぱるぞ(66)北極星で節約

 江戸中期の近江商人、初代中井源左衛門は倹約(節約、始末)とケチは違うと言っています。

 「始末と吝(しわ)きの違いあり。無知の輩は同事とも思うべきか。吝光りは消えうせぬ。始末の光明満ちぬれば、十万億土照らすべし」。

 松尾 匡 (『商人道ノススメ』藤原書店、2009年)さんによると、こうなります。

・・・

 「ここで、『光明』というのは仏教用語で、菩薩から発する慈悲の光である。『十万億土』とはこの世から極楽までにある無数の世界のことで、その間をずっと慈悲の光で照らすことで、人々が極楽まで行きやすいようにするという意味なのである。つまり、石田梅岩も言っていた理屈と同じである。自分のためにケチをするのではなく、人々みんなのために、要らないものをはぶくのである」(125ページ)。

・・・

 始末を行うのは、人々みんなのためだと言います。

 それから250年後、リンボウさんは節約の"檄"を飛ばしています。そうそう、『パソコン徹底指南』(文春新書、2001年) でした、私がパソコン利用法で"檄"を飛ばされたのは。本当は『謹訳 源氏物語』(祥伝社、2010年)にて登場すべき林 望さんでしたが、私の力不足で叶いません。

 林さん、節約の基本はまず食事から入ります。

・・・

 「お金をかけず、無駄を出さず、いかにしておいしい食事を作るか。

 私は常日頃より、このことについて人一倍あれこれと知恵を絞っているのですが、それにはまず、食材の買いかたから考えるべきではないかと思います。

 私のうちでは、日々の食事は原則として私が作っています。いわば、林家のグランドシェフというわけです。・・・・・(略)・・・・・

 私流の買い出しの秘訣といえば、『前もって献立などを一切考えない』、ということに尽きます。その夜の献立を決めることなく、基本的な食材をまんべんなく、冷蔵庫にちょうどいっぱいになる分だけ買ってくるのです。

 野菜といえば、キャベツ一個、白菜半分、にんじん三本、シイタケ一袋、小松菜一把、しょうが一個とか、こんなふうに買ってきて、後からその食材を組み合わせ、献立を考えて料理する。そして、それを二、三日で食べ切って、すべてなくなったら次を買いに行く。このサイクルを常に保っています。

 もちろん、こういうことをしていると、最後には、タマネギ一個と長いも少々というような、『究極の組み合わせ』とでもいうような食材が残ってしまうこともあります。けれども、そこでへこたれてはならない。自分の知恵と腕とを総動員し、そのタマネギ一個と長いも少々から、工夫して美味なるものを作り出すのです。余談ですが、そこから新しいレシピが生まれることが度々(たびたび)あり、これこそ、料理の醍醐味(だいごみ)ではないかと考えているわけです」(『節約の王道』日経プレミアシリーズ、2009年、20~21ページ)。

・・・

 逆転の発想です。

 普通、献立から考えて食材を買います。でも、その食材、全部使いませんよね。残ります、冷蔵庫に行きます、その存在を忘れます、腐ります、捨てます、ちょっと反省します、しかし"しかたがない"であきらめる、その繰り返しです、私たちは。

 この節約の王道、道場破りのごとく、数ある常識を次々と斬り倒していきます。

・・・

 「『万札を崩してはならない』という意識。だからこそ、お金をおろすときは『三万四千円』。これこそ人間の心理をついた、なかなかうまい節約術だと思うのですが、いかがでしょうか」(49ページ)。

 「そういうわけで、たとえ結婚式の披露宴に招待されたとしても、ご祝儀袋を持っていくことは一切しません。当日は手ぶらで行きます。事前にきちんと、相手のためにすごく素敵だと思う骨董品のお皿を選んで、桐の箱をあつらえて、箱書きを丁寧に筆で書いて、そうして当人のところへ贈っておきます」(67~68ページ)。

 「いい大人が、流行が変わるごとに毎シーズン服を買い揃えるなどというのは、どうもお金の無駄遣いという気がしてなりません。流行りのデザインというのはあっという間にすたれてしまうので、一~二年もすればすぐにやぼったくなって着られなくなります」(95ページ)。

 「勉強にしてもクラブ活動にしても、これはつまり、親が子どものためにお金を払って『時間』を確保してあげているからできることなのです。・・・・・(略)・・・・・

 アルバイトをするということは、せっかく親が買い取ってあげた時間を、子どもがまた社会に売り渡してお金に変えてしまうことなのです」(166~167ページ)。

・・・

 たんなる節約法ではないようです。一本、筋が通っています。

 つまり、節約する目的が大切だということです。

 自分が高く掲げた目標、これを北極星と呼ぶ林さんは、この星を羅針盤として、その実現のために「投資」することを勧めます。そうではない費用は無駄なのです。

 ただし、私のような凡人は、どれが北極星なのか分からず、「無駄遣い」をしてしまいます。お酒を飲まない林さんに一言。

 節約して飲むビールは格別です!

投稿者 教員 : 2010年7月16日 22:19 | コメント(0) | トラックバック(0)
2010.07.13 火曜日 >> 教授 宮崎 昭

はんかくさい(22)正常と異常の境界(その2)

 正常と異常の境界、再び小俣和一郎さんに登場してもらいます。

・・・

 「われわれは日ごろから、どこかで、異常とは何かの欠陥であり、何かが欠如した(あるいは不足した)状態と考えてはいないだろうか。逆に正常とは、すべてが満たされ、不足の無い状態であると観念していないだろうか」(『異常とは何か』講談社現代新書、2010年、137ページ)。

・・・

 小俣さんは、異常を「欠陥」「欠如」と考えるだけでなく、その逆に正常の過剰、規範(ノルマ)の過剰にも異常の領域を広げています。病気と言えば、かつてはビタミン不足、栄養不足、発育不足など、「不足」に起因する体の「異常」が問題になりましたが、現代ではむしろ「過剰」な糖分や脂質に起因するメタボリック・シンドロームが話題になっています。さらには、「サヴァン症候群(savant syndrome)」という特異な症例があります。

・・・

 「サヴァン症候群とは、膨大な量の書籍を一度読んだだけでその内容をすべて記憶する知的障害の一例を、『ダウン症候群』で知られるイギリスの医師ラングドン・ダウンが報告(1887年)したものに発する。ダウンはこのケースを、「賢者」を意味するフランス語の『サヴァン』を用いて『イデオ・サヴァン』と呼んだ。高度な記憶力、描画能力、音感、計算能力など、常人には見られない傑出した精神機能で特徴づけられ、アメリカ映画『レインマン』(1988年)で取り上げられたことから日本でも知られるようになった」(155ページ)。

・・・

 映画ではダスティン・ホフマン演ずる主人公が、つまようじ250本の数を言い当てるシーンが印象的でした。一般には「自閉症」と紹介されていますが、「サヴァン症候群」だったのです。

 小俣さんの筆は、過剰の異常について、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)にまで及びます。この異常性は誰の目からも明らかですが、当時のドイツ国民にとっては異常どころか、全くの正常な行為であった言います。

 当時のドイツ医学界では、がん予防の意識が強く、喫煙、農薬、合成着色料との関連が問題にされていました。禁煙運動のような健康増進運動が活発になり、それが優秀な人種(ドイツ人)、劣等な人種(ユダヤ人)という差別に行き着き、「遺伝病子孫予防法」(いわゆるナチ断種法)に基づく強制断種に到るのです。この時代の空気に「生真面目」さが切り込むと、どうなるか。

・・・

 「ナチスのユダヤ人絶滅機構の中核であった帝国保安本部は、1939年に親衛隊保安部(SD)と国家秘密警察(ゲシュタポ)が統合して生まれた行政機関であったが、その頂点にいたのは親衛隊国家指導者(ならびにドイツ警察長官)のハインリッヒ・ヒムラーであった。そのヒムラーのモットーは『何ごとも折り目正しくあれ!』であり、部下の親衛隊員らは、それを忠実に、個人的憎しみや敵意といった感情を排除し、組織的に、整然と、まさに『折り目正しく』大量殺人を遂行した。帝国保安本部でユダヤ人の強制収容所への大量移送を実現したアドルフ・アイヒマン、ナチ絶滅収容所の一つ、トレブリンカで所長を務めていたフランツ・シュタングルといった代表的な加害者が、血に飢えたサディストなどではなく、むしろ几帳面で勤勉、命令や職務にきわめて忠実なメランコリー型の性格者であったことは、戦後の裁判、尋問、インタビューなどを通じて明らかになっている」(138ページ)。

・・・

 小俣さんの鋭さは、ナチスを単純に「異常」と断罪することで終わりとしないことです。つまり、現代社会の効率性重視、生産性重視、徹底したムダ排除、時計仕掛けの生産現場・・・正常の過剰が指摘されているからです。

 そういえば、新型インフルエンザの対策では、このナチスと似たような現象がありました。マスク着用が当然のごとく、したがってマスクは品切れ状態になりました。欧米で、日本発のニュースとして取り上げられ、その異常さが注目されました。

 ドイツと日本、似ていると言われています。正常と異常の境界は、個人の在り様にあるのではなく、社会の在り様にあるのではないか、そう思い知らされました。

 つまり、正常と異常の境界は社会的な事件であるということです。

 

 

投稿者 教員 : 2010年7月13日 07:35 | コメント(0) | トラックバック(0)
2010.07.07 水曜日 >> 教授 宮崎 昭

はんかくさい(21)正常と異常の境界(その1)

 ラジカセがウンとも、スンともいいません。こりゃ、壊れたわい・・・と思っていたら、何とコンセントが外れていただけでした。異常が正常に戻った瞬間です。

 正常と異常、こんな明白な対立はありません。善と悪、白と黒、暖と寒、明々白々の対照です。

 ところが、そう簡単な話ではないようです。小俣和一郎さんの次のような指摘、どう思いますか?

・・・

 「英語のアブノーマルは、ラテン語のアブノルミス(abnormis,名詞はabnormitas)に由来する。ラテン語のアブ(ab-)は離反・逸脱などを表す前置詞であり、ノルミス(ノルミタス)は名詞ノルマ(norma)から来ており、もともと『規準』『規範』『規格』を意味する。ちなみに『正常』の英語=ノーマル(normal)の語源も、まったく同じこのノルマ(形容詞はノルマリスnormalis)である。つまり、最初に規範(ノルマ)というものが規定されており、そこから離れて逸脱したものが『異常』ということになる」(『異常とは何か』講談社現代新書、2010年、18ページ)。

・・・ 

 そうなんです。「多数派の規範」が正常であり、「少数派の逸脱」が異常ということになります。別の言い方をすると、常識(多数派の規範)が正常であり、非常識(少数派の逸脱)が異常ということになりますね。

 ですが、社会の常識や規範を超えてユニークな行動をする革命家は、やはり異常な存在と言うことになりますし、貴重な少数意見も異常と断定されるわけで、その意味では異常であることを決して否定的に考えるべきではないということになります。というか、少数であることをもって異常と決め付ける愚は避けなければならないと思うのです。

 ところで、小俣さんは「自殺=うつ病」論は正しいのか、と疑問を提起しています。統計的には3割程度であるにもかかわらず、うつ病が主因とされていると指摘しています。それだけでなく、うつ病の範囲が極端に拡張されている点に注目しています。背景に製薬会社の存在があります。

・・・

 「うつ病の増加とポスト工業型社会との関係を指摘する向きもあったが、この時期からの『うつ病の増加』と最も密接に関係しているのは、おそらくうつ病の診断基準の国際化ではないかと思う。・・・・・(略)・・・・・

 しかし、その一方で、うつ病は単なる症状の集まり(すなわち症候群)になってしまい、本来(あるいは従来)うつ病の特徴と考えられてきた特徴的な病前性格や家族像、発病年齢、臨床経過、うつ病者の精神病理などがことごとく見過ごされ、うつ病の範囲は極度に拡散してしまった。ちょっとした気分の落ち込み(抑うつ気分)、興味・関心の減弱、気力の減退、自殺念願(死にたい気持ち)などであっても、そうした症状の幾つかがそろい、一定期間持続していれば、それで『うつ病』ということになってしまう。・・・・・(略)・・・・・

 だが、このような『うつ病の氾濫』は、抗うつ剤を発売している製薬会社にとっては、まことに喜ばしいことである。医薬品を一般の消耗品にたとえるなら、それはすなわち消費者層が一気に拡大したことを意味するからである」(106~109ページ)。

・・・

 分析は一歩進んで、現代社会のあり方に及びます。正常が過剰になると異常になる、というパラドックスです。

 几帳面で生真面目、仕事熱心で責任感の強い人、これはドイツの精神科医テレンバッハによれば「メランコリー型性格」ということになるそうです。規範、秩序は大切ですが、それが過剰なまでに押し付けられるとたまりません。

・・・

 「時計仕掛けという言葉があるが、たとえば目覚まし時計がセットした定刻にベルを鳴らすというのは正常に作動しているということであり、鳴らないのなら時計は壊れているということになる。ある人間が、約束の時間に現れれば、それは正常であり、異常ではない。この正確さを限界にまで推し進めるのなら、それは定刻ぴったりに約束の場所に現れることとなる。しかし、一般的に考えれば、待ち合わせというのは多少の時間のずれがあることの方がむしろ多く、両者が定刻ぴったりに顔を合わせる場面の方が少ないだろう。・・・・・(略)・・・・・多少の遅れがあっても、それほど目くじらを立てることは通常はない。いや、それがむしろ正常というものであろう。人間社会においては、多少のルーズさや自在さは、ごく当たり前のこととして了解され、しかも通念として共有されている」(134~135ページ)。

・・・

 一生懸命働く、約束を守るという「正常」が過剰になると、自身の精神が異常になるという話です。

 現代社会のあり様に、異常の素があるのですからやっかいです(つづく)。

      

 

 

 

投稿者 教員 : 2010年7月 7日 06:56 | コメント(0) | トラックバック(0)
2010.06.29 火曜日 >> 教授 宮崎 昭

けっぱるぞ(65)市場には任せられない

 経済成長か環境保全か、どちらを重視する?と聞かれたら、「どっちも!」と答えちゃいけないかな、欲張りかな?

 成長派は、経済が停滞しては雇用も生活も成り立たないと言います。他方、環境派はもういい加減成長したんだから、ここらで地球環境を守らないと、とんでもないことになると言います。

 ウーム、迷ってしまいます。

 でも安心、佐和隆光さんは「大丈夫!」と言っています。

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 「かつて私は、『地球温暖化を防ぐ』(岩波新書、1997年)を書き、『気候変動対策が経済成長を鈍化させる』という誤謬を根本的に正そうとした。しかしながら、今もって、くだんの誤謬は正されていない。だが、その後、世界経済の状況は一変した。自動車と石油を経済成長の原動力とする20世紀型資本主義は幕を閉じ、グリーン資本主義とでも呼ぶべき時代が到来したのだ」(『グリーン資本主義―グローバル「危機」克服の条件』岩波新書、12ぺージ)。

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 20世紀は「電力・石油の世紀」であって、このふたつの動力源によって資本主義は成長し発展してきました。ということは、20世紀は「二酸化炭素(CO2)排出の世紀でもあったわけです。佐和さんは、だから技術革新の軸も変わらざるを得ないと言います。

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 「『技術革新なくして経済成長なし』という命題は、21世紀においても真であり続けることだろう。だがしかし、21世紀の技術革新の座標軸は、20世紀のそれと比べて大きく様変わりを遂げることだろう。20世紀の技術革新は『より速く』、『より強く』、『より大きく』、『より高く』を目指していた。ところが、21世紀の技術革新は『低燃費』、『低炭素化』、『廃棄物最少化』、『再生可能』などを目指すようになった。その意味で、21世紀の先進諸国の経済成長のバネ仕掛けとなる技術革新のほとんどが、環境保全に関連している」(42ページ)。

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 グリーンの技術革新で経済成長させるということですね。でも、本当に大丈夫でしょうか?

 これまで経済成長を促してきたのは、自動車やテレビ、電気冷蔵庫といった耐久消費財でした。21世紀の経済成長も、波及効果の大きい耐久消費財が必要だと思います。佐和さんは、それを太陽光パネルや電気自動車などに求めています。でも、随分と高いでしょう、消費者は受け入れてくれるでしょうか?

 佐和さんは、市場の原理に任せては実現できないと言います。政府の役割、ケインズ的な財政出動、経済的措置に期待しています。

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 「経済的措置の代表例は、環境税と排出枠取引である。他に、割高なエコ製品の普及を促すための優遇税制、補助金などもあり得る。要するに、エコ製品の購入、省電力、公共交通へのシフトを促すインセンティブを仕掛けるのが経済的措置の狙いである」(162ページ)。

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 市場メカニズムを通して、消費者の選好をエコ製品に向かわせるようにするのが、経済的措置というわけです。なんか分かったような気がします。

 おまけの一言。

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 「日本はソフトウェア産業のいずれをも不得手としている。日本が得手とするのはモノづくりである。不得手なソフトウェア産業を得手にしようとしても、それは一朝一夕にはかなわない。したがって、日本はハイテク製造業、なかんずく省エネ機器の製造に軸足を置いてのポスト工業化を目指すべきである。在来型の製造業は、新興国・途上国に任せておいて、日本はハイテク省エネ製造業に『特化』するべきである」(190ページ)。

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 内需と外需の双方とも、グリーン・ハイテクで行こうということですね。「経済大国」におさらばして「グリーン大国」か・・・・・なんかうれしくなってきます。

 

 

投稿者 教員 : 2010年6月29日 17:06 | コメント(0) | トラックバック(0)
2010.06.20 日曜日 >> 教授 宮崎 昭

はんかくさい(20)メッタ斬り

 私たちが住む日本とはどういう国なのか、毎日繰り返し住み続けているわけですから、あたりまえの門前払いの問いですね。

 でも、そうではないらしいのです。

 日本文化論、日本人論、とくに外国人が書いたものに注目が集まります。注目されますから、日本人も負けずに日本文化を論じます。そして、多くがベストセラーになります。しかし、そのほとんどが「インチキ」と言って、斬って斬って斬りまくるサムライがいます。小谷野 惇こやの とん)さんです。

 博学です。しかも、遠慮が無い。とくに、権威というものに容赦が無い。

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 「こういう『ポストモダン批判』というのは、ほかの人もやっているけれど、私は何も、日本文化論批判からポストモダン批判へ話を展開しているだけではなくて、ヘーゲル講読などというのも、しょせんは、ヘーゲルという人物を、『聖書』や仏典の著者と同じように崇(あが)めて、ヘーゲルだからおかしなことを言うはずはないと思って読んでいるので、もうその辺から学問はおかしくなっている、と言いたいのである」(『日本文化論のインチキ』幻冬舎新書、2010年、84ページ)。

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 ヘーゲル、これはもう、神様のように思ってチャレンジしたものですが、小谷野さんによれば、NGです。

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 「そんなことを言うと、お前はヘーゲルが難解で理解できないから八つ当たりしているのだと言われるかもしれないが、だいたいヘーゲルを読んでいると、いったい何を根拠に、国家だの市民だのの性質というものを抽出(ちゅうしゅつ)して一般化しているのか、まるで分からない」(63~64ページ)。

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 フム、・・・ヘーゲルは難解でした。それは私の能力不足によるものと思っていました。小谷野さんがそう言うと、少し気が楽になったような気がします。だけど、本当にそうなのか、まだ気持ちの整理ができません。

 小谷野さん、正直と言えば正直、大胆と言えば大胆、批判の矛先はとどまる所を知りません。

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 「さてお前はいろんな日本文化論をあれはいい、これはいかんと決め付けているが、では『菊と刀』はどうなのか、と言われるかもしれない。何しろ『菊と刀』は、日本文化論論争の天王山のような趣があり、作田啓一(さくたけいいち)の『恥じの文化再考』(1967)とか、いろいろなひとが論じている。著者ルース・ベネディクトは女性で、文化人類学者のマーガレッド・ミードとは恋愛関係にあった。つまりレズである。・・・・・(中略)・・・・・

 表題の「菊と刀」は、天皇制と武士道を表している。内容的には雑多なものだが、一番有名なのは、西洋文化が罪の文化であるのに対して、日本文化は恥じの文化だというものだろう。つまり西洋はキリスト教だから、神の前に罪を意識して生きているのに対し、日本では世間的な恥を気にして生きている、というのだ」(116ページ)。

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 ベネディクトとミードの関係がどうだったのか、そんなことまでよく知っているな、とは思うものの、それは本筋とは関係ないでしょう?と言いたくなります。

 ところで、小谷野さんの自信、それはどこからくるのでしょうか?どうも、それは「恋愛輸入品説」との長きにわたる「論争」にあるようです。

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 「世の中には、一度言っただけでは、どうしても伝わらないことというのがある。だから私は、何度でも同じことを言い続ける決心をしたのである。『恋愛輸入品説』というのは、明治期に、『恋愛』という思想が西洋から輸入された、日本人はそれまで『恋愛』を知らなかった、というのがその根幹である」(122ページ)。

・・・

 小谷野さんは憤っています。「輸入品論者は私の批判にまともに答えたことがない」にもかかわらず、なお「恋愛輸入品論」が流布しているからです。

 完膚なきまで批判しているのに、という自信でしょうか。あるいは、受け入れられない悔しさでしょうか。

 たとえそうだったとしても、思うのです。

 「恋愛輸入品説」が誤っているとしても、それが受け入れられ流布しているのはなぜなのか、その理由にまで踏み込んではじめて説得的な批判になるのではないでしょうか。

 余計なお世話でした。

 

   

投稿者 教員 : 2010年6月20日 15:12 | コメント(0) | トラックバック(0)
2010.06.16 水曜日 >> 教授 宮崎 昭

はんかくさい(19)マーケティングは愛

 マーケティング論を絵本にしたのは小川 進さんでした(『ドクター・オガワに会いにいこう―はじめてのマーケティング』千倉書房、2005年)。小川さんから献本していただき、それ以来マーケティング論の講義で毎回紹介しています。受講生の反応も悪くありません。

 その後、小説仕立てのマーケティング論が登場しました。高橋 朗『銀座ママ麗子のマーケティング事件簿』(宝島新書、2008年)です。しかし、私の立場からすると、ここで紹介するのは多少のためらいがあります。 こう、言っているからです。

 「学校でのお勉強よりも・・・・・」、「学校でのお勉強は必要不可欠ではありません・・・・・」、「むしろ相手に対する『思いやり』や『愛』の方が、はるかに重要ではないでしょうか?」と言っています。私への挑戦(?)、大学の講義に対する否定の姿勢です。

 これはいけません。いけませんが、でも、どんな小説なのか、その出来栄えに興味があります。

 主人公は、銀座・クラブ「喋々」の美人ママ・麗子、マーケティングの達人なのです。企業の経営者や営業マンが、麗子ママにマーケティングのご指南を期待してクラブに通いつめるというのが、大筋の設定です。そこで、資生堂を思わせる「美粧堂」の商品「シルキー」の売上げが思わしくないという事態に直面し、この広告を担当している大手広告代理店「芸通」(これはやっぱり電通だよね)の松田、森崎の二人が「喋々」に現れます。

 あいにくママはまだ出勤前で、大卒のホステス香織が二人のお相手を務めます。

・・・

 「『それは何?』

 『マーケティングは愛』

 『愛って、LOVEの愛のこと?』

 『そうです』

 『もう少し詳しく教えてもらえないかい?』

 松田が先を促した。その表情は真剣そのものだ。そんな松田を見て、森崎もこの話の重要性を感じ取った。

 『はい。ママはいつも言っています。マーケティングは愛だって。その理由は、マーケティングが2wayコミュニケーションだからです。なぜなら、2wayコミュニケーションには、必ず相手がいます。だから相手が何を求めているのか、何を考えているのか、何ができて何ができないのかとか、そういうことをすべて知った上でコミュニケーションをする必要があります。そうじゃないと、相手は心を開いてくれません。そういうコミュニケーションをするためには、愛が必要です。愛があるからこそ、相手のことを隅々まで知りたいと思うし、相手のために何でもしてあげたいって思うんです。マーケティングは、そういうものだってママは言ってます』」(46~47ページ)。

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 二十歳そこそこのお嬢さんから、ママの請売り「マーケティングは愛」と聞かされて感心する二人、小説とはいえ、ちょっと、寒い。

 ともかく、麗子ママや香織たちのアドバイスを受けながら、シルキーのブランド強化のために努力する面々ですが、セブン-イレブンと思われる「セブン-トゥエルブ」からシルキーの販売を行わないという衝撃的な通知がきます。「セブン-トゥエルブ」の棚から消えるというのです。これは大変です。

 この話、小説ですからネタばれはルール違反、結末は書きません。というか、続編があるかのような終わり方です。実際、「あとがき」にこうあります。

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 「今回のお話では、マーケティングに関することを、広く浅くご紹介しました。つまり、マーケティング概論のような内容でした。

 今後は、特定のテーマに絞った内容のお話をしていきたいと思っています。たとえば、営業戦略、広告戦略、人材マネジメント戦略などです。

 そうです。麗子ママの物語は、これからまだまだ続くのです」(286ページ)。

・・・

 実際、シリーズ化しています。シルキーがどうなったのか、本屋さんへ行って確認してみることにします。

 高橋さん!「はじめに」の中で、「マーケティングは、お勉強ができなくたって、ちゃんとできるのです」と言ってましたよね。

 だけど、クラブ「蝶々」に通う人たちは、まぎれもなく「お勉強」してますよ。ママも香織も理論家です。マズローの心理学やロジャースの普及理論も登場します。

 高級クラブのようですから、授業料も高いのでしょうね。

 

 

 

   

投稿者 教員 : 2010年6月16日 12:40 | コメント(0) | トラックバック(0)