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2006.10.20 Friday

古屋の出張日記(その2)ーハクビシンを食べてしまった話

 前回の作品の出来が良いと何人かの人に(お世辞で?)ほめられたので、その気になって「その2」を書く気になった。「豚もおだてりゃ木に登る」とはよく言ったものである。  今回は、中国で多くの死亡者を出したあの新型肺炎「SARS」で有名になった「ハクビシン 」を知らないで食べてしまった話し。  2001年2月だから、私が九国大に来て丁度1年目のことです。そこから遡ること約10年前の1992年から、10社前後による我々プラント産業の企業法務担当者は、中国の専門家と日中間のプラント関連技術契約のモデルフォームを作成していた。日本側の中心は(財)日中経済協会で、中国側は対外経済貿易部(日本の経済産業省にあたる)であった。1992年と言うのは丁度日中間のプラント取引が、重厚長大の貨物の売買を対象とする取引から、知的財産を対象とするいわばソフト取引に徐々に軸足を移していき始めた時期であありました。  実はこのとき私は自分が勤務していた会社の業界団体「(財)エンジニアリング振興協会」に所属する契約法務委員会の委員長をしていて、以前この委員会が作成したプラント建設の国際標準契約モデルフォームを上記の業界仲間と2年間かけて改訂し終えたところでした。この契約モデルフォームは業界の契約実務経験者がそのノウハウを結集して作成したもので、世界的にもかなり評価が高いものでした。その結果、あの世界銀行の産業設備調達標準契約に採用され、現在も世界中の世銀プロジェクトに採用されています。  恐らくこの成果に注目したものと思われる中国政府が、日本政府の対中国貿易取引の窓口的立場である上記「(財)日中経済協会」を通じて我々に、日中間のプラント取引契約のモデルフォーム作成を呼びかけてきたのでした。当時は日本側も中国側も2-3年もかければそれは完成できると考えていましたが、日中間の利害関係の差は想像をはるかに超えており、交渉は遅々として進みませんでした。そしてやっと両者間の折り合いがつき完成にこぎつけたのが、九国大で私が講義を始めた初年度の2001年2月だったわけです。  さて前置きが大分長くなってしまいましたが、完成の目途が立ったこの年(2001年)に中国側から、最後のモデルフォーム作成会議と完成の調印式を2月に中国最南端の海南島で行ないたいとの招請を受けました。それまでの会議は、日本と中国でほぼ交互に行なわれていたのですが、最終会議は中国でやりたいと言うわけです。最終会議と言うものは何時も同じですが、今までの懸案事項が積み残しになっている一番重要な会議です。契約交渉のテクニックとしてはこの会議をできるだけ自分のホームグラウンドでやるほうが賢いやり方です。それでなくても相手の国に行くと言うのはお金も時間もかかるハンディを負います。しかし中国政府側からの招請とあれば受けて立つ他はありません。それに我々としても、「中国のハワイ」と当時呼ばれていた海南島は魅力的でした。いわばエメラルドグリーンの海と真っ白な浜辺を夢見て、会議の困難を乗り切る決心をしたのかもしれません。  幸い会議は途中でかなりきついやり取りもありましたが、比較的順調に進み完成、調印にまでこぎつける事ができました。調印式には副市長さんまで参加して市のテレビ局の実況付で盛況のうちに終わりました。  その晩のことでした、完成を祝して中国側から晩餐会のご招待がかかりました。料理はその地方の郷土料理で「野味」と呼ばれるものだそうです。呼び名が少々引っかかりましたが、開拓精神(?)旺盛な日本側メンバーは興味津々で招待に応じました。場所は市内から車で30分くらいのところにある、海辺の一軒家とおぼしき所。まず出てきたのは土地のビールで、前菜らしきものがついている、と、ここまではまあ良かったのです。ところが次に出てきたもの(後でこれがメインディシュとわかったのだが)、大振りのどんぶりの中に、色々なものがごった煮になっているしろもの。中でもひときわ目立つのが、ウロコぎらぎらと、とぐろをまいた蛇、それに何かわからない動物の肉でした。一同ギョッとなったきりしばらく無言のまま、誰も手を出しません。しかしこれは相手方からのご招待です。パスするわけには行きません。そして私は日本側の団長(代表者)です。意を決してどんぶりを引き寄せ、半ば目を閉じてウロコつきの蛇にかじりつきました。なんとも言えない感触、しかしまずくは無い。次にどんぶりの汁を飲む、ところがこれが抜群に旨い!これに勇気付けられ、くだんの得体の知れない肉も頬ばりりましたが、これも鳥の腿肉と魚をあわせたような味と感触でなかなかいけるのです。一同見守るなかで、好味、好味!(旨い旨い)ともりもり食べ進み、意地汚くお代わりまでしてしまいました。日本側の仲間達もこれに勇気付けられ次々に食べ始め無事にこの難関を乗り切る事ができました。この後ワイングラス一杯の「蛇の生き血」による一気飲みは、副団長さんにお任せして、その後の宴は盛り上がりに盛り上がりました。  問題はこの「何かわからない動物の肉」でした。仲間内で色々推測してみたがどうもわからない。中国人は良く犬を食べるというので、犬かなとも思ったのですが確信はもてない。そこで中国側の団長さんに聞いてみましたが答えは、「犬にもあらず猫にもあらず」といった禅問答のような答えでどうもわかりませんでした。しかし晩餐会は乾杯、乾杯の大盛会の内におわり、いよいよ帰るときになり一同玄関に集まりました。そこで目に留まったのが、床の上がりかまちにある格子付のオリに飼われている動物でした。日本では見たことの無い、犬でも猫でもない、狸にひげをつけたような奇妙な動物でした。(添付写真参照)皆、何かなあと首を傾げましたが、それ以上追求することはせず、その夜はホテルに帰り酒の酔いも手伝って翌朝までぐっすりと寝てしまいました。その後無事帰国の途に着き、一同あの得体の知れない動物のことはすっかり忘れてしました。 それから2年後の2003年初頭ごろでしたか、あの「新型肺炎”SARS”」がわが国を含めたアジア全域に猛威を振るい始めたのは。中でもひどかったのが中国でした。沢山の人が死に、天災ではなくむしろ行政の不手際に因る人災であると世界中からの非難を浴びたことは記憶にまだ新しいでしょう。その猛威もひと段落したころ、その原因らしき動物が発表されました。その名は「ハクビシン」。そしてその写真を新聞で見たとたん、思わず私は心臓が止まりそうになりました。そこに移っていたのは紛れも無く、2年前にあの海南島の郷土料理屋でお代わりまでして食べてしまった、「犬にもあらず猫にもあらず」の動物だったのです。新聞には、「郷土料理野味の材料として中国南で広く食されている」とありました・・・・。

ハクビシン.jpg

投稿者:KIUウェブ編集部 | 2006.10.20 14:33 に投稿しました。

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