2006年6月、アメリカの経済誌「フォーブス」発表の「世界のセレブ(著名人)100人」に日本人として初めて選ばれた人。
同年11月、"長時間労働(?)"でギネスブックに世界一と認定された人。
水道メーター製造・販売会社の「ニッコク」の代表取締役社長を務めているひと。
私の叔母から、「なにさ!偉そうに・・・はんかくさいんでないかい!」と言われた人、さて、それは誰でしょうか?
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「僕は今でも『本業』はニッコクの経営者だと思っています。そのため、会社が軌道にのった今でも、経営は絶対人任せにしません。
僕は平成11年に父親(故人)から社長を引き継ぎました。
どんなに遅くに帰っても、自宅の書斎で全国の営業所から届いた書類に目を通すのが毎晩の習慣。それが無理な場合は、どんなに眠くとも翌日の朝早くには起きて、確認し、早々に指示を出す。
そして、『朝ズバッ!』の収録が8時半に終わると、楽屋に待機してもらっている秘書と総務の担当者と毎朝の打ち合わせを行う。ここで、銀行印が必要な書類や、重要な書面、手紙類に目を通し、しかるべき処理をするのです」(みのもんた『義理と人情―僕はなぜ働くのか』幻冬舎新書、2007年、146ページ)。
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みのもんた、さんでした。
まったくもって、よく働くひとです。テレビ出演だけでも驚異的なのに、会社の社長までやっているとは・・・。しかも、それに加えてよく遊ぶこと!
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「僕は40年間、ほぼ毎日欠かすことなく銀座に通っています。デビューしたのは忘れもしない、昭和42年。当時の文化放送の専務に連れていってもらったのがキッカケでした。
浮世離れした豪華絢爛な世界に、僕は一度で酔いしれました。だって、天女のような美女がギッシリ箱詰状態なのですから、これぞ地上の楽園です」(100ページ)。
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銀座だけではないようですよ。新橋、赤坂、向島、浅草、神楽坂といえばお座敷遊び、さらには京都・祇園にまで足を延ばしています。
あの「世界NO.2セールスウーマン」で売り出した和田裕美(わだひろみ)さんが、「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」と言っていたことを思い出しました。
ところで、みのさんはどうして、そんなに働き、遊ぶことができるのでしょうか? とても真似できませんが、その秘訣のようなものを教えてもらえませんか?私も、残りの人生を賭けてみたいと思いますが・・・。
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「20代で『セイ!ヤング』のDJに抜擢され、その後勘違いしてしまった僕は、仕事を失い、10年間近く芸能界から干されました。
その間、そしてその後も、僕のことを親身になって考え、力になってくれた家族、先輩、番組スタッフ、お店の方々、お世話になった全ての人へ恩返ししたいと思っています。
僕が恩返しできること、それが仕事をすることなのです。求められているのであれば、僕はどこへでも行きます。
もちろん、最初からそう思って働いていたのではありません。
僕がそんな気持ちになれたのは、父のおかげです。
父はだれに対しても感謝の心を忘れませんでした。友人や仕事関係者はもちろんのこと、お酒を呑みに行っても、
『ありがとう。楽しかった。おいしかった』と最後には必ず店の女性に感謝の言葉を伝えます。
父が病院で亡くなった後、婦長さんや看護士さんに挨拶に行ったとき、こんな話を聞きました。
『わたしたち、お父様のこと、天皇陛下って呼んでたのよ』。もう喋ることもできなかった父は、看護師さんに感謝の気持ちを伝えるため、面倒を看てくれる看護師さんが部屋を出るまでずっと手を振っていたといいます。
どんなに痛くても辛くても泣き言ひとつ言わず、ただただ父は最後まで看護師さんに感謝していたそうです。
人としての義理、ルールを僕は父の生きざまから学びました」(5~6ページ)。
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そうだったのですか。
みのさんが挫折したときスーッと姿を消した取り巻きの人たち、そして再起して成功したとたん群がってくる人たち。はんかくさい話の中で、こういう輝くようなエピソードもあります。
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「芸能界に友人はいないと書きましたが、一人だけ僕が『惚れて』お付き合いさせてもらっている人がいます。
僕の兄貴ともいえる存在、渡哲也さんです。・・・略・・・
あるとき、こんなことがありました。僕も、僕の親父も渡さんのヒット曲『くちなしの花』が大好きで、よく歌っていると言ったら、『それは、嬉しいな。一回お父さんの前で生で歌おうかな』なんて言ってくれるんです。
そして、『お父さんと、近々会うの?』と聞いてくる。
『8月10日に「おもいっきりテレビ」が終わってすぐ名古屋に行きます』(それは当時、名古屋工場が主工場で、父は名古屋にマンションを借りて住んでいたからです)。
そんな風に答えましたが、酒席でのこと。ましてや、向こうは大スター。2週間もすると、僕自身すっかり忘れていました。
そして、僕が名古屋に向かう8月10日。新幹線の東京駅ホームに行くと、なんと渡さんが待っているじゃないですか。
それこそ僕は腰が抜けるほど驚きました。慌てて、『何で、ここにいるんですか?』と尋ねると、『だって、親父さんと一緒に歌うって約束したろう』。
もうカッコいいの一言に尽きます。そして、名古屋に二人で向かいました。ホームで待っていた親父の目の前で、『くちなしの花』を歌ってくれたのです。
親父はというと、緊張と嬉しさのあまり、直立不動になっていましたが、一生の思い出になったと思います」(93~94ページ)。
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あのお父さんと、渡さん、その中にいるみのさん、というトライアングルが奏でる旋律でした。
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