ドギーバッグが話題になっています。レストランなどで食事をした際の残り物、食べ残しを持ち帰るための容器です。doggy bag 、アメリカ人が食べ残しをお家のワンワンにあげるからと「言い訳」して持ち帰り、ご本人が食べるという理由からdoggyなのだそうです。
"もったいないから"、"資源のムダをなくそう"と注目されています。しかし、関係者の間では「食中毒が起こった際の責任問題が・・・」と心配する声も聞かれます。食糧自給率が低い日本ですからなおさらムダは許されませんが、でもそれで自給率が上がるわけではないし、環境問題に良い結果をもたらすかどうか、よーく考えてみる必要があります。
そう考えるのも、槌田 敦さんの『環境問題のどこが間違っているのか?』(宝島社新書、2007年)を読んだからです。私たちが善意で行うリサイクル活動が、むしろ環境問題の解決にとって障害になっているというのです。聞き捨てなりません。
まず最初にやり玉に挙がっているのは、牛乳パックのリサイクルです。
・・・
「槌田 牛乳パックはたしかに良質のパルプからつくられているわけですが、両側にポリエチレンフィルムが張られていて、そのままでは再生できない。牛乳パックから手漉きはがきをつくったことのある人なら、ラミネートされたこのポリエチレンをはがすために粉せっけんを溶いた熱湯に二昼夜浸したり、鍋で二十~三十分煮たりしたことがあると思いますけど、それでもなかなかはがせない。牛乳パックを再生するということは、つまり、この面倒くさい工程を大規模にやらなくてはいけないということなんですね。
― でも、それは技術力やスケールメリットでクリアできる問題じゃないんですか。
槌田 それができないからこそ、牛乳パックが山積みになってるんじゃないですか。もちろん、コストをかければ不可能ではありませんよ。だけどそんなことをしても商売にならないから、古紙を原料にトイレットペーパーをつくっている中小の製紙会社も、牛乳パックには手を出さなかったんです」(38ページ)。
・・・
古紙のリサイクルは「儲かるから始めた」のに対して牛乳パックの場合は「もったいないから始めた」のだけれど、採算がとれないというのです。「悪い」ことに、牛乳パックは再生できると信じて回収運動を積極的に行うため、むしろ進んで牛乳パックを買い求めるという悪循環に陥っているとまで言い切ります。
紙パックは燃やしてエネルギーに転化したほうが良い、むしろ考えなければならないのは牛乳ビンで回収していたシステムこそ環境にいいと主張しています。この話、アルミ缶のビールと瓶ビールにも当てはまります。
うむ、なるほど、ちょっと考え直さなければならないかもしれません。
「ゴミ問題に科学技術は無力」と言う槌田さん、出番は政治・経済にあると考えています。
・・・
「槌田 結局、科学技術にできることはこの程度なんです(ゴミから燃料をつくる話ですが、トン当たり2,300円の燃料をつくるのに1万5千円もかかるという事例・・・宮崎)。だから、繰り返しますけど、悪いものは『元から絶たなきゃダメ』というのが基本なんです。元から絶つというのは何かといったら、資源を取り入れるところから絶たなきゃ駄目だということです。
使ってはいけない資源、捨てれば必ず汚染になる資源を使ってしまえば、それから後は何をしても駄目なんです。リサイクルしようが分別しようが、問題の解決にはならないんですね」(100ページ)。
・・・
使ってはいけない資源、それは例えば塩素系毒物やプルトニウムであると言います。この辺の話になると、牛乳パックのような"善意"のムードも消え去ります。
地球の温暖化、そのためのCO2削減、だから石油ではなく原子力。これは最近大々的に言われている理屈だけれど、これは大きなウソであり軍事活用に道を開く危険性があると言います。国民をだましているとも言います。
そうであれば怪しからん話です。
・・・
「槌田 いや、だいたい、原発が炭酸ガスを出さないという前提からおかしいんです。たしかに発電所の中では石油をあまり燃やしていないから炭酸ガスは出ないけれども、発電所を建設したり、ウランを掘ったり、そのウランを燃料に加工したりする時に石油をいっぱい使っているわけです」(132~133ページ)。
・・・
そうですか、たしかに個人の善意による運動だけでは限界があるようです。槌田さんは「個人の倫理から社会の倫理へ」進化することを期待し、政治のレベルでエコロジーを考える必要性を訴えています。提案されている「毒物等物品税」、これは面白い着想です。オバマ大統領のグリーン・ニューディールにもヒントになるのではないでしょうか。
鳩山さんにも役にたつと思いますが、5月までかな・・・。
http://www.kiu.ac.jp/mt/mt-tb.cgi/1547
COMMENTS
コメントを投稿