私たちが住む日本とはどういう国なのか、毎日繰り返し住み続けているわけですから、あたりまえの門前払いの問いですね。
でも、そうではないらしいのです。
日本文化論、日本人論、とくに外国人が書いたものに注目が集まります。注目されますから、日本人も負けずに日本文化を論じます。そして、多くがベストセラーになります。しかし、そのほとんどが「インチキ」と言って、斬って斬って斬りまくるサムライがいます。小谷野 惇(こやの とん)さんです。
博学です。しかも、遠慮が無い。とくに、権威というものに容赦が無い。
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「こういう『ポストモダン批判』というのは、ほかの人もやっているけれど、私は何も、日本文化論批判からポストモダン批判へ話を展開しているだけではなくて、ヘーゲル講読などというのも、しょせんは、ヘーゲルという人物を、『聖書』や仏典の著者と同じように崇(あが)めて、ヘーゲルだからおかしなことを言うはずはないと思って読んでいるので、もうその辺から学問はおかしくなっている、と言いたいのである」(『日本文化論のインチキ』幻冬舎新書、2010年、84ページ)。
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ヘーゲル、これはもう、神様のように思ってチャレンジしたものですが、小谷野さんによれば、NGです。
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「そんなことを言うと、お前はヘーゲルが難解で理解できないから八つ当たりしているのだと言われるかもしれないが、だいたいヘーゲルを読んでいると、いったい何を根拠に、国家だの市民だのの性質というものを抽出(ちゅうしゅつ)して一般化しているのか、まるで分からない」(63~64ページ)。
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フム、・・・ヘーゲルは難解でした。それは私の能力不足によるものと思っていました。小谷野さんがそう言うと、少し気が楽になったような気がします。だけど、本当にそうなのか、まだ気持ちの整理ができません。
小谷野さん、正直と言えば正直、大胆と言えば大胆、批判の矛先はとどまる所を知りません。
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「さてお前はいろんな日本文化論をあれはいい、これはいかんと決め付けているが、では『菊と刀』はどうなのか、と言われるかもしれない。何しろ『菊と刀』は、日本文化論論争の天王山のような趣があり、作田啓一(さくたけいいち)の『恥じの文化再考』(1967)とか、いろいろなひとが論じている。著者ルース・ベネディクトは女性で、文化人類学者のマーガレッド・ミードとは恋愛関係にあった。つまりレズである。・・・・・(中略)・・・・・
表題の「菊と刀」は、天皇制と武士道を表している。内容的には雑多なものだが、一番有名なのは、西洋文化が罪の文化であるのに対して、日本文化は恥じの文化だというものだろう。つまり西洋はキリスト教だから、神の前に罪を意識して生きているのに対し、日本では世間的な恥を気にして生きている、というのだ」(116ページ)。
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ベネディクトとミードの関係がどうだったのか、そんなことまでよく知っているな、とは思うものの、それは本筋とは関係ないでしょう?と言いたくなります。
ところで、小谷野さんの自信、それはどこからくるのでしょうか?どうも、それは「恋愛輸入品説」との長きにわたる「論争」にあるようです。
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「世の中には、一度言っただけでは、どうしても伝わらないことというのがある。だから私は、何度でも同じことを言い続ける決心をしたのである。『恋愛輸入品説』というのは、明治期に、『恋愛』という思想が西洋から輸入された、日本人はそれまで『恋愛』を知らなかった、というのがその根幹である」(122ページ)。
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小谷野さんは憤っています。「輸入品論者は私の批判にまともに答えたことがない」にもかかわらず、なお「恋愛輸入品論」が流布しているからです。
完膚なきまで批判しているのに、という自信でしょうか。あるいは、受け入れられない悔しさでしょうか。
たとえそうだったとしても、思うのです。
「恋愛輸入品説」が誤っているとしても、それが受け入れられ流布しているのはなぜなのか、その理由にまで踏み込んではじめて説得的な批判になるのではないでしょうか。
余計なお世話でした。
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