正常と異常の境界、再び小俣和一郎さんに登場してもらいます。
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「われわれは日ごろから、どこかで、異常とは何かの欠陥であり、何かが欠如した(あるいは不足した)状態と考えてはいないだろうか。逆に正常とは、すべてが満たされ、不足の無い状態であると観念していないだろうか」(『異常とは何か』講談社現代新書、2010年、137ページ)。
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小俣さんは、異常を「欠陥」「欠如」と考えるだけでなく、その逆に正常の過剰、規範(ノルマ)の過剰にも異常の領域を広げています。病気と言えば、かつてはビタミン不足、栄養不足、発育不足など、「不足」に起因する体の「異常」が問題になりましたが、現代ではむしろ「過剰」な糖分や脂質に起因するメタボリック・シンドロームが話題になっています。さらには、「サヴァン症候群(savant syndrome)」という特異な症例があります。
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「サヴァン症候群とは、膨大な量の書籍を一度読んだだけでその内容をすべて記憶する知的障害の一例を、『ダウン症候群』で知られるイギリスの医師ラングドン・ダウンが報告(1887年)したものに発する。ダウンはこのケースを、「賢者」を意味するフランス語の『サヴァン』を用いて『イデオ・サヴァン』と呼んだ。高度な記憶力、描画能力、音感、計算能力など、常人には見られない傑出した精神機能で特徴づけられ、アメリカ映画『レインマン』(1988年)で取り上げられたことから日本でも知られるようになった」(155ページ)。
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映画ではダスティン・ホフマン演ずる主人公が、つまようじ250本の数を言い当てるシーンが印象的でした。一般には「自閉症」と紹介されていますが、「サヴァン症候群」だったのです。
小俣さんの筆は、過剰の異常について、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)にまで及びます。この異常性は誰の目からも明らかですが、当時のドイツ国民にとっては異常どころか、全くの正常な行為であった言います。
当時のドイツ医学界では、がん予防の意識が強く、喫煙、農薬、合成着色料との関連が問題にされていました。禁煙運動のような健康増進運動が活発になり、それが優秀な人種(ドイツ人)、劣等な人種(ユダヤ人)という差別に行き着き、「遺伝病子孫予防法」(いわゆるナチ断種法)に基づく強制断種に到るのです。この時代の空気に「生真面目」さが切り込むと、どうなるか。
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「ナチスのユダヤ人絶滅機構の中核であった帝国保安本部は、1939年に親衛隊保安部(SD)と国家秘密警察(ゲシュタポ)が統合して生まれた行政機関であったが、その頂点にいたのは親衛隊国家指導者(ならびにドイツ警察長官)のハインリッヒ・ヒムラーであった。そのヒムラーのモットーは『何ごとも折り目正しくあれ!』であり、部下の親衛隊員らは、それを忠実に、個人的憎しみや敵意といった感情を排除し、組織的に、整然と、まさに『折り目正しく』大量殺人を遂行した。帝国保安本部でユダヤ人の強制収容所への大量移送を実現したアドルフ・アイヒマン、ナチ絶滅収容所の一つ、トレブリンカで所長を務めていたフランツ・シュタングルといった代表的な加害者が、血に飢えたサディストなどではなく、むしろ几帳面で勤勉、命令や職務にきわめて忠実なメランコリー型の性格者であったことは、戦後の裁判、尋問、インタビューなどを通じて明らかになっている」(138ページ)。
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小俣さんの鋭さは、ナチスを単純に「異常」と断罪することで終わりとしないことです。つまり、現代社会の効率性重視、生産性重視、徹底したムダ排除、時計仕掛けの生産現場・・・正常の過剰が指摘されているからです。
そういえば、新型インフルエンザの対策では、このナチスと似たような現象がありました。マスク着用が当然のごとく、したがってマスクは品切れ状態になりました。欧米で、日本発のニュースとして取り上げられ、その異常さが注目されました。
ドイツと日本、似ていると言われています。正常と異常の境界は、個人の在り様にあるのではなく、社会の在り様にあるのではないか、そう思い知らされました。
つまり、正常と異常の境界は社会的な事件であるということです。
http://www.kiu.ac.jp/mt/mt-tb.cgi/1791
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